僕には、なす先生という25年無職の友人がいる。頻繁に宅飲みをする間柄だ。先生の生活は、だいたいイオンと酒とYouTubeでできている。
なす先生の今日の食事は、玉ねぎのケチャップライスである。
すしや(僕)「先生、今日何食ったの?」
なす先生「ケチャップライス。玉ねぎ入れてよ。」か
すしや「肉は?」
なす先生「ねーよ」
すしや「少し入れればいいじゃん。鶏肉とか、豚肉でもさ」
なす先生「あめーっ、肉なんか買えねー」
すしや「またそれか」
先生の食事は、だいたい、ふりかけご飯か納豆か卵である。肉や魚を買うのは半額のときだけ。安いとか、今日はこれが食べたいとか、そういうことではない。半額でなければ買わない。
すしや「半額がなかったら?」
なす先生「買わねーよ。米はあるし」
すしや「米はあるし、じゃねーんだよなー」
別に玉ねぎのケチャップライスが悪いわけではない。僕だって食べる。それが食べたくてつくる日もあるだろう。ただ、先生の場合は、長年ずっとこの調子なのである。
肉は買えない。でも、ほかのものは買える
すしや「先生、カレーとかハンバーグって、最近食った?」
なす先生「食ってねーな」
すしや「肉じゃがは?」
なす先生「ねーな。肉買わねーもん」
すしや「そういう普通のおかず、たまには食えよ。毎日ごちそう食えって言ってんじゃないぞ」
なす先生「だから、金ねーっつの。すしやもわかるべや」
すしや「わからん! 先生、タバコは毎日買ってるだろ。酒も買うだろ。イオンに行くガソリンも使うだろ。そっちには毎日金出せるのに、なんで飯に肉をちょっと足すところで、急に一円もないみたいになるんだよ」
なす先生「それとこれは別だ」
すしや「財布は一緒だろ!」
この「別」が、僕にはどうしてもわからない。先生の中では、タバコを買うお金と、肉を買うお金は別の話なのだ。前者は必要なものとして出ていく。後者は、半額になるまで出せない。
すしや「毎日イオン行ってんだから、今日これ食ってみようとか、ならんの?」
なす先生「高いなーとは思う」
すしや「感想が値段だけなんだよ!」
カイジを思い出しながら飲むビールは、ちょっとうまい
先生がたまに肉を食べるときは、さぞうまいのだろうな、と想像してやらんこともない。久しぶりの肉。脂の味。ご飯と一緒に口に入れたときの、あのうまさ。それはそれで、毎日食べている人にはない喜びなのかもしれない。
一方で、毎日それなりの食事をしている人は、そこまで感激せずに食べているのだろう。今日もうまいね、くらいの感じで。僕だって毎回、食卓を前に感動しているわけではない。
ただ、ちょっとした想像で、いつものものが急にうまくなれるものだ。
すしや「俺さ、ビール飲むとき、カイジ思い出すことあるんだよね」
なす先生「カイジ?」
すしや「地下で働いてて、初給料で飲んだビールのあの場面よ。あの描写はビール史上で最高の表現だと思うぞ。軽々しく飲めるわけじゃない。そのなかで大好きなビール。熱気の中でキンキンに冷えてやがるんだよ、知ってるだろ、キンキンに。こんなの上手いに決まっている。あの場面を思い出しながら飲むとさ、いつものビールがちょっと特別になるんだよ」
なす先生「ビールは普通にうめーだろ」
すしや「うまいよ。だから、そのうまいのを、もっと味わえる感じなんだって。なんとなく飲んでたのが、ああ、冷たいな、うまいなって、そっちに気持ちが向くんだよ」
なす先生「俺、何も考えてねーな。カイジも見てないし」
すしや「だろうな。考えろって話でもないけどさ」
同じ缶の、同じビールなのに、口に入るまでに思い浮かべたもので、感じ方が変わる。漫画の中のあの情景が浮かぶだけで贅沢をした気分になるのだ。
ちなみに先生は読んだ漫画も驚くほど少ない。ドラゴンボールもスラムダンクも見ていない。ひたすら銀河鉄道999が最高だべやと言う。
銀しゃりと味噌汁だけで、あんなにうまそうなのだ
すしや「あと、坊や哲の漫画。『哲也』で、哲と印南が闇市みたいなところだったかな、ご飯と味噌汁を食べるところ、あれもいいな」
なす先生「知らん。ご飯と味噌汁?」
すしや「そう。あの白いご飯が貴重な時代。庶民で銀シャリと呼ばれる白いご飯と味噌汁だけで、なんでこんなにうまそうなんだろうって。自分がご飯食うときに思い出すと、ちょっと丁寧に味わいたくなるんだよ」
なす先生「米なら俺も食ってるぞ」
すしや「知ってるよ。食ってるかどうかじゃなくてさ」
湯気の立つ味噌汁をひと口飲んで、ご飯を口に運ぶ。そうすると、いつも通りの食事なのに、ちゃんとご飯の甘さがわかる気がする。ああ、これだけで十分うまいんだな、と、あらためて思う。
すしや「わかりやすく究極に空腹のときの飯もうまいわな。仕事終わって、やっとひと息ついて飲むビールもうまい。食べる前、飲む前に何があったかで、同じものでも違うんだよな」
なす先生「俺、働いてねーからな」
すしや「そうだな。ほんと虫みたいだな」
なす先生「あめっ!」
先生には米がある。食べるものがなくて、やっとひと口にありついたという話でもない。いつもの時間に、いつものものを食べて、いつものように酒を飲む。少なくとも僕には、その毎日が「これを楽しみにしてたんだ」という食事には見えないのだ。おいしく食事をしようという考えが見えない。
納豆が貧しいんじゃない
なす先生「なんだよ。白い飯でうまいんなら、俺の飯でいいじゃねーか」
すしや「うん。納豆もうまいし、ふりかけもうまいよ。俺だって好きだよ。ただ先生、食いたいものあっても、買えねー買えねーって、そこで終わらせるじゃん」
なす先生「買えねーもんは買えねー」
すしや「タバコは買えるのにか。そこなんだよ! 納豆が食いたくて納豆食ってるならいいんだよ。肉も食いたいけど、そっちはどうせ買えねーからこれでいい、ってなってるだろ」
僕が引っかかるのは、先生が自分の食事を、ずっと後回しにしていることなのだと思う。食べたい気持ちはある。買い物にも毎日行く。それなのに、自分のために少しうまいものを買うことを、頑なに避けている。
たまに肉を食べればうまいのかもしれない。でも、それまでの毎日の飯だって、先生の人生の時間なのだ。そこをずっと、米はあるし、で済ませてしまうのが、僕にはどうにももったいない。
すしや「今日カレー食って、明日は焼き魚で、次の日は納豆でもいいじゃん。ああ、やっぱ納豆もうめーなってさ。そうやって毎日の飯、もうちょっと楽しんだらいいんじゃないの」
なす先生「肉も魚も高いんだぞ」
すしや「そっか?でも、先生の使ってる金の中から、たまにそっちへ回すことはできるだろって言ってんの!」
話がまた最初に戻った。ご飯と味噌汁のうまさを話していたはずなのに、先生の肉売り場の前から、どうしても先へ進めない。
せめて飯くらい、楽しめよ
すしや「先生さ、言わせてもらうが、それ、金だけじゃなくて心まで貧しくしてないか。ちょっと食いたいなって思ったものまで、自分に食わせてやらないのかよ」
なす先生「金があれば食うさ」
すしや「だからあるだろ、タバコ買ってるだろ! 豪華なもん食えなんて言ってないんだよ。ケチャップライスに肉入れる話だぞ!」
いつもこんな調子だ。先生にとっての当たり前が僕にとって信じられないことが多く、ついヒートアップしてしまう。今日これ食ったらうまかったとか、この肉でつくったらよかったとか。そんな程度の話でいい。せっかく毎日ご飯を食べるのだから、その時間を少し楽しめばいいのに。
白いご飯も、味噌汁も、ただのビールも、本当は十分うまい。僕はそれを、漫画の場面を思い出すだけでも、特別に感じられる。もちろん普通のおかずがある食事はうまい。先生にも先生なりに、普段の食事に対して食べられてよかったな、と思えればいいけど、貧しい食事だと自覚していて、そんな毎日を過ごしているなんてありえない。そう思って、つい口を出してしまう。
なす先生「すしやよ、今日は玉ねぎいれたからうまかったぞ」
すしや「それはよかったな。じゃあ次、肉入れてみ。もっと楽しみになるかもしれないだろ」
なす先生「半額だったらな」
すしや「三割引だったら?」
なす先生「買わねー」
すしや「タバコは定価で買うのに?」
なす先生「あめーっ、それは別だっつの」
そこは、何度聞いても別問題らしい。
明日のケチャップライスにも、肉が入るかどうかは半額のシール次第だ。先生の食いたい気持ちには、決定権がない。