僕には、なす先生という25年無職の友人がいる。頻繁に宅飲みをする間柄だ。先生の生活は、だいたいイオンと酒とYouTubeでできている。
すしや(僕)「先生、藤井聡太は知ってるか」
なす先生「当たり前だべや」
すしや「じゃあ、14歳のときの29連勝とか、朝日杯とか見てたか?」
なす先生「お、なんだすしや。将棋の話できるのか」
すしや「まあ、藤井くんからだけどね。そっから結構見てるよ」
なす先生「マジか。いやあ、将棋の話できる人、欲しかったんだー。今までいなくてよ。」
すしや「お、そうなん。先生こそ将棋の話できるのか。俺もあんまり周りにいなかったんだよ、いーねー」
これはちょっと意外だった。いつものイオンの話でも、酒の話でもない。先生の口から、ちゃんと話せそうな趣味の話が出てきた。
ただ、この「なんだすしや、将棋の話できるのか」という言い方。今思えば、すでにちょっと上からなのだ。
まあいい。話せるんなら話してみようじゃねえか。
14歳が、プロに勝って、また勝つ
僕が将棋を見るようになったのは、藤井くんが出てきてからだ。
14歳2か月でプロになって、デビュー戦の相手が加藤一二三さん。そこで勝って、そのまま負けない。2017年6月26日には増田康宏さんを破って、デビューから29連勝。まだ14歳の中学生が、公式戦の連勝新記録をつくったのである。
すしや「だって先生、相手みんなプロだぞ。将棋ばっかりやってきた人たちに、中学生が勝って、また勝つんだぞ。なんだこいつってなるじゃん」
なす先生「29連勝は知ってるよ」
すしや「ニュースの話じゃなくて、将棋の中身よ。あの頃の対局、見てた?」
なす先生「いや、そんなには見てねえな」
僕は当然素人だ。将棋のルールは分かるがいい手か悪い手か判断できるわけじゃない。だから解説を聞く。
その解説が面白いのだ。プロが考えて、説明している。その横から、14歳が思いもしなかった手を指す。すると、解説していた人まで驚く。
こっちはその反応を見て、え、今そんなすごいこと起きたのかよ、と前のめりになる。意味を教わってから、もう一回見る。なるほど、そういうことか。それでまた面白くなる。
すしや「都成竜馬とのやつ見た? 俺、YouTubeで見たんだけど、藤森さんと勝又先生の解説、あれ面白いんだよ。マジで。藤井君の背中のチャック開けたら大山さんが出てくるとか言ってるし。横でありえますって言ってるし」
なす先生「いや、見てねえ」
話しているのは、2017年7月の加古川青流戦。当時14歳だった藤井くんの都成戦で、解説は藤森哲也さんと勝又清和さんだった。
すしや「14歳が大山さんばりの将棋指してんだぞ。」
なす先生「ふーん」
ふーん、じゃねえんだよ。さっきの「話す人欲しかった」はどこいった。
神の一手も、朝日杯も、見ていない
すしや「じゃあ、そのあと15歳のときの朝日杯は? 羽生さん破って、広瀬さんにも勝って優勝したやつ。あれ持ち時間少なくて面白かったぞ」
なす先生「いや、見てねえな」
2018年2月の朝日杯。準決勝で羽生善治さん、決勝で広瀬章人さんを破って、藤井くんは15歳6か月で棋戦優勝を果たした。14歳の29連勝だけでも十分とんでもないのに、翌年にはもうそこまで行ってしまう。
すしや「じゃあ、7七同飛成は? 飛車ただ捨てする、あのやつ」
なす先生「知らねえ」
すしや「知らねえか」
これも15歳のとき。2018年6月、石田直裕さんとの竜王戦で指した「△7七同飛成」だ。取られるところへ飛車を成り込む。しかも、飛車を渡しても自分の王様は詰まない。そこまで読んで、相手への攻めをつないでいく。
すしや「あの一手もすげえけど、その前がまたすげえんだよな。何手も前から、そこへ向かって指してるわけなんだよ。途中から毒まんじゅう置いて待って、そこへの手まで考えてんだよ。どうぞ、そっちに来てくださいってさ」
なす先生「ほう」
すしや「いや、ほうじゃなくて、見てみろって。飛車捨てました、すごいですね、だけじゃないんだよ。なんでそんな前からわかるんだよって話なんだって」
さらに、その後の渡辺明とのタイトル戦の話もしてみる。渡辺さん自身が、こちらの気づいていない手が多かったと局後に話していた、あの棋聖戦だ。
すしや「渡辺さん負けたんだけど、終盤で勝ち筋があったんだよ。それを感想戦で藤井君に指摘されて、それを渡辺さんは局後の観衆の前で言ったんだよ。いやー、あれは気づけないよねー、って」
なす先生「いや、知らねえな」
すしや「なんだよ先生。あの辺、俺には一番面白かったとこだぞ。全然見てねえのかい。まあいいけどな」
別に僕と同じ対局を見ていなければ、将棋の話をするなと言いたいわけではない。先生には先生の見てきた将棋があるんだろう。
じゃあ、そっちの話を聞いてみよう。
クイズを出し合うはずだった
すしや「じゃあ、クイズ出し合うか」
なす先生「お、いいね」
すしや「竜王戦の前のタイトル、なんだ?」
なす先生「十段戦よ」
すしや「お、そうそう。当たり」
ここは即答だった。竜王戦の前身は十段戦。ちゃんと合っている。
すしや「いいね。じゃあ次、先生出してよ」
なす先生「うーん」
すしや「……」
なす先生「うーん」
すしや「出ねえのかよ!」
解答者としては調子がいいのに、出題者になった途端に止まった。
すしや「じゃあ俺、もう一個出すわ。羽生さんの有名な一手っていったら?」
なす先生「5二銀だべ」
すしや「そうそうそう。」
なす先生「米長先生が、おおっ、おおって驚いたやつだよ、あれがいいんだー」
すしや「あれがいいよな。じゃあ次、先生」
なす先生「じゃあ、NHK杯の郷田真隆の、あの手知ってるか」
すしや「いや、どの手よ。なんか見たような気もするが、それ有名か?NHK杯見てないしな」
なす先生「あの手はすごかったぞ」
すしや「いや、だから、それだけじゃわからんって。ほかの出して」
すると今度は、NHK杯に出ている女流棋士の名前が出てきた。
なす先生「じゃ、○○○○て女の棋士知ってるか?」
すしや「いや、知らねえな」
なす先生「知らねえのか。有名だぞ」
すしや「誰よ」
なす先生「NHK杯見てる人なら、みんな知ってるぞ。名物解説だぞ」
すしや「いやそんなん駄目だ。それ番組じゃねーか。」
先生は、僕が知らない話になると急に元気になる。
さっきまでの「見てねえ」「知らねえ」はどこへ行ったんだ。自分の知っている番組の話になった途端、知らない僕のほうが遅れていることになる。
すしや「先生、さっきからNHK杯NHK杯言ってるけど、もしかしてNHK杯だけじゃないのか?」
なす先生「いや、そんなことはねえよ」
そのA級、いつのA級だよ
すしや「じゃあさ、今のA級、言ってみ」
なす先生「わかるよ、そんなの」
すしや「おう」
なす先生「、、、羽生さんだよ。、、、郷田だよ。久保だろ。康光だろ」
すしや「いや、ダメだダメだ。まじで言ってんのか。いつの時代のA級だよ!」
名前を聞いた瞬間、先生がいつ頃の将棋を思い浮かべているのか、なんとなくわかった。
なす先生「冗談だー」
すしや「だろうな。先生、それ、覚えてる名前を言ってるだけじゃねえか。今知らねえだろ」
なす先生「なんだすしや、偉そうに。じゃすしやわかんのかよ」
すしや「わかるわ。B級まで知ってるわ、現A級はもちろん、前の期のA級だって知ってるよ」
なす先生「それ、藤井聡太からだべや」
すしや「そうだよ。だから何だよ。今だよ。そこから見てたら、いろんな棋士知ってるぞ」
藤井くんを見ていれば、当然、対戦相手も知るようになる。将棋界の歴史も知るようになる。YouTubeで面白そうな動画を見ていけば必然、そうやって、見るものも知っていることも少しずつ増えていく。
すしや「そもそも大山さんとかも知ってたしよ」
なす先生「おー、大山さん」
すしや「米長さんとか」
なす先生「米長さんなー」
すしや「中原誠とか」
なす先生「おー、中原誠」
すしや「昔の名前になると、急に返事いいな!」
名前は出てくる。しかし、今のA級は出てこない。
僕には、先生が昔から将棋を見続けてきたというより、昔見た将棋の記憶を、ただそのまま持っているように思えた。たまにNHK杯をつけて、それで今も詳しいつもりになっている。
先に偉そうにしたの、先生だろ
なす先生「今でもNHK杯はたまに見てるぞ」
すしや「それは聞いたよ。だから、たまにNHK杯見るくらいだって、最初から言えばいいじゃん」
なす先生「なんだよ」
すしや「最初、なんだすしや、将棋の話できるのか、って来ただろ。なんだかだいぶマウントとってきてたぞ。話してみたら、先生のほうが全然知らねえじゃねえか。」
なす先生「あめっ、すしやもさっきの女流棋士知らなかったべ」
すしや「知らねえな。知らなくていいや。 」
ここなのだ。このへんが先生の特徴としてある。
先生は、自分の知っている狭い範囲を、やけに大きなものだと思っている。
その外の話をされても、へえ、そんなことになってるのか、とはならない。自分の知っている話へ戻って、また「これ知らねえのか」とやる。
すしや「先生さ、自分が思ってるほど詳しくねえんだって。今、話しててわかっただろ。そこはちょっと認めろよ」
なす先生「将棋は昔から見てるんだぞ、俺は」
すしや「年齢と同じでだてに年数が長いだけだ。昔から見てるのに、昔話しか知らん。」
YouTubeだって毎日ずっと見ているんだから、いろいろ将棋動画見れるだろ。
すしや「相変わらず底が浅い人間だな、先生。」
なす先生「あめーーっ。」
先生は、そのあとまじめに考えたが今のA級を最後まで二人くらいしか言えなかった。
でも、僕より昔から見ていることだけは、最後まではっきりしていた。